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2014.11.21

あの物語と一緒に、僕も旅をしてきた

自転車コミックの金字塔「サイクル野郎」作者・荘司としおは語る

ブリヂストン・ロードマンが発売された1974年。奇しくも同時に世に出た、自転車コミックがある。今に至るまで、類似作品すら存在しない「自転車」「旅」「少年の成長」をテーマにした長編コミックこそ、かつて日本中の自転車少年の血をたぎらせた作品「サイクル野郎」だ。その作者・荘司としおさんに、お話をうかがった。

 文/落合 薫 写真/三浦孝明
h-6最初のタイトルは「サイクル太郎」だった

大ヒットした「夕焼け番長」(秋田書店)の連載が終わり、荘司さんは「ちょっと疲れた」と感じていた。なにしろ、原作は“あの”巨匠、梶原一騎。「巨人の星」、「タイガーマスク」、「空手バカ一代」、「あしたのジョー」といった怪物コミックの原作者として一時代を築いた風雲児と組んで、足掛け5年も連載を続けたのだ。

「梶原さんはいろんな逸話があったけど、僕に対しては優しかったですよ」

とは言え、作品は始終ケンカ、ケンカの物語で、もともと武闘派ではない荘司さんが「疲れた」と感じたのも無理もないだろう。

しばしの休養のあと、出版社を少年画報社に移して次回作の話になったとき、「今度はさわやかで笑いもある物語を」と希望した。

打ち合わせを重ねる中で、とある新人編集者が自転車で日本一周の旅をしたということを聞いた。

それが当時、少年たちを虜にした「サイクル野郎」のヒントとなる。

「最初は『サイクル太郎』ってタイトルだったんです。その頃、なんとか太郎ってタイトルが流行ってたのかな。でもあまりカッコよくないから、僕の方から『サイクル野郎』にしてくれと言って」

特に自転車が大好きというわけではなかった。普段乗っていたのは750㏄のオートバイ。しいて言えば、乗り物は何でも好きだった。例の新人編集者にさまざまな話を聞き、とにかく連載はスタートした。

1974年。ブリヂストンのロードマン発売と同時期だったのは、全くの偶然だった。

_IU_5005描きながら取材・勉強・そして旅

その頃、自分で持っていたのはフジの輪行車。車のルーフに乗せて、よく奥多摩を走りに行った。当時の値段で7万5千円くらい。大卒の初任給が5万5千円の頃だ。

連載が始まってしまえば、ゆっくり旅に出るような時間はない。

それでも、なんとかやりくりして時間を作った。

「週刊ですからね。1回が20ページくらいだったかな。原稿が上がると、もう次の回を書き始めるわけですよ。でも、自分が旅好きだったので、なんとか時間を作るために、描きだめして、どこかに出かけた。北海道とか青森とか。旅に行くために頑張って仕事して、取材もかねてオートバイで走ってね」

その頃作った、手作りのルートマップが今も残る。

オートバイの距離感で、主人公の旅程は1日500㎞と計算した。

「今考えると、ちょっとハードだったかもしれませんね」

自転車で1日500㎞は、確かに、ハードだったかも・・・・・・。

「読者の方が自転車に詳しくて、いろんな資料を送ってくれるんですよ。途中の道路が、取材の時は未舗装だったのに、その後舗装されたよ、とか。このブレーキのワイヤーの取り回しが違う、とかね(笑)」

連載当初は、新人編集者の話や集めた資料から、メーカー不詳のサイクリング車を書いた。今になって見返すと、いろいろバランスが悪い。それから次第に改良され、主人公の自転車には両サイドにバッグを装備できるラックがついた。連載中期からはリアのフェンダーに「フェニックス号」と黒いペイントで書き込んだ。

「なんか名前が欲しいなと思ってね(笑)」

作中の主人公と一緒に、作者である荘司さんも自転車にのめりこんでいった。

 

このインタビューの続きは「BICYCLE NAVI No.79」誌上でお楽しみください。

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