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2016.02.01

速くなりたいし、勝ちたい。そう思って前だけ向いてきた

MOTORCYCLE MAN -オートバイのある人生- Vol.41 青木宣篤[スズキMotoGPテストライダー]前編

世界グランプリへの豊富な参戦経験を活かし、現在はスズキのMotoGPマシン開発ライダーとして活躍する青木宣篤さん。30年以上になるレース人生、そしてバイクへの想いを聞いた。

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新たなモノを作り上げるのは苦労もあるけどおもしろい

 熾烈なチャンピオン争いで、世界中のレースファンを熱狂させた今年のMotoGP。ライダーたちの波乱含みの人間関係も含め、数多くのトピックが生まれたシーズンだったが、4年振りとなるスズキのGP復帰も大きな話題のひとつだった。
 第7戦では予選1、2番手を独占し、その後も頻繁にトップ10内に食い込むなど、復帰1年目にして充実の結果を残したスズキ・GSX -RR。その開発テストライダーを務めているのが、青木宣篤さんだ。
「自分のレース人生、初めて作るものに関わることが凄く多いんです。今回のMotoGPマシンもゼロから作り始めました。世界最高峰の舞台で、立ち上げから携われるプロジェクトなんて数少ない。そういう機会に出会えたのは嬉しいですね」
 01年には世界最高峰二輪レースへの初チャレンジを決めたブリヂストンと契約し、MotoGP参戦用タイヤの開発に尽力した。翌02〜04年にかけては、レジェンドライダー、ケニー・ロバーツ率いるプロトン・チームKRでグランプリに復帰。最高峰クラスにフル参戦しながら、オリジナル5気筒マシン「プロトンMX1」の開発に携わった。
「ケニーのチームでは、チーム独自のエンジンによる、ぜんぶハンドメイドで作ったバイクに乗ったんですね。その時は本当に何もかもゼロからのスタートだったので、もう想像もつかないことが起きるんですよ。データ計算上は完璧でも、実際に乗るとものすっごく大きな息継ぎがあるエンジンになっていたりとか。だから、危ない思いもいっぱいしたけど(笑)、その時の経験は、今の仕事にすごく活きてると思います」
 宣篤さんは、テストライダーという職業を「バイクに乗って、文句を言う仕事」と表現する。いかにマシンを乗りやすくするか、それがテストライダーとしてのポリシーだ。
「レーシングマシンは乗りやすくなければ、絶対に速く走れない。ピークパワーだけを追求してもダメで、10なら10、50なら50と、アクセルを開けたら開けた分だけのパワーが、スムーズに出るエンジンが必要なんです。今は電子制御でごまかせる部分も多いけど、まず〝素〞の状態で乗りづらさを除くことが大切。レースの現場では、金・土の限られた時間の中でいかにムダなく、タイムの出るマシンにセットアップできるかで勝負が決まってきますから」
 マシン開発の現場も、ある意味では時間との闘いだ。効率よくマシンの完成度を高めるためには、具体的な数字や症状を、理論的にエンジニアに説明することが求められる。
「レースライダーなら、『あのコーナーでダーッとなって、ドン!ってなる』って擬音説明でいいんですけどね(笑)。テストライダーは、『第3コーナーで、8000回転付近、アクセル開度30%の時に急にエンジンが撥ねる』というように、エンジニア寄りの言葉で的確に説明しないと、次のステップに進むのに余計な時間がかかってしまう。大変だけど、スズキはライダーのフィーリングをとても大切にしてくれる会社で、自分の意見もしっかりマシン作りに反映してくれるんですね。そこにやりがいを感じるから、いままで続けてこれたのかなって思います」

もっとも負けたくないもっとも身近なライバル

 宣篤さんとバイクの出会いは、父の薦めでポケバイに乗り始めた10歳の時。父の教え方は非常にシンプルで、タンクを満タンにした後、「ガソリンがなくなるまで走ってこい」と送り出されるだけだった。
「いま考えれば、それが良かった。やっぱりあーだこーだ喋るよりも、乗ることなんですよね。たとえば、ちょっと調子が悪い時も、それなりにごまかして走ったり、そういう術や臨機応変な走り方を、体で覚えられたのは大きかったと思います」
 ポケバイからミニバイク、さらに地方ロードレース選手権へとステップアップし、89年には史上最年少で国際A級クラスに特別昇格。90年から日本GPにもスポット参戦を果たし、93年からは、世界グランプリへのフル参戦を開始した。最高峰クラス初年度の97年は、自己最高のランキング3位を記録し、ルーキーオブザイヤーも獲得している。
 10代の頃から、弟の拓磨さん、治親さんと共に「青木3兄弟」と呼ばれ、周囲の期待と注目を集めてきた。さらに宣篤さんの世代は、ポケバイからレースを始め、世界グランプリまで到達した最初の世代。ポケバイ育ちのライディングスタイルを批評されたり、兄弟のライバル関係を騒がれたりと、外野の声に重圧を感じたことはなかったのだろうか。
「いや〜、全然なかった! 自分の走りがなんて言われてたか、よく知らないけど、正直、そういう声は眼中になかったです(笑)。ひたすら走ってタイムを出すのが楽しくて、上しか見てなかったから(笑)」
 しかし弟たちは、自分にとって一番負けてはいけないライバルだった、と宣篤さんは振り返る。
「多くのライダーは、まずチームメイトには負けたくないって最低ラインがあるんです。俺の場合は、弟に負けちゃいけないってもうひとつのラインもあった(笑)。でもね、そうやって突っぱねてた時代も長かったんですけど、97年だったかな。苦しすぎて、『兄ちゃんだからこうしなくちゃいけない』って考えるのをやめたんですよ。そしたら、すごく気持ちがラクになった。多分このままだと、そのうち自分が潰れてしまう予感があったんでしょうね」

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青木宣篤/NOBUATSU AOKI
1971年生まれ・群馬県出身。10歳からポケバイに乗り始める。93年からロードレース世界選手権に参戦を開始、97年に500ccクラス・ランキング3位を記録する。05年からはスズキのMotoGPマシンの開発テストライダーを務めている。09年にヨシムラスズキで優勝した鈴鹿8時間耐久ロードレースへの参戦は、現在も継続中、12年にNPO法人「青木ノブアツ2輪促進委員会」を立ち上げた。

文/齋藤春子 写真/峯 竜也

→MOTORCYCLE MAN -オートバイのある人生- Vol.41 青木宣篤[スズキMotoGPテストライダー]後編

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