柳家小三治「バ・イ・ク」/ライダーのためのブックナビ、Moto Obi
先日亡くなられた噺家、柳家小三治のバイクエッセイ、「バ・イ・ク」。
ここに哀悼の意を表し、Moto NAVI No.106に収録された本書のレビューを公開する。
バイクを愛した小三治ならではの、鋭くも温かなまなざしに触れる。
文/淺川覚一朗
「とにかく、みんなでそろって、どこかへ行こうじゃないか」
柳家小三治、落語家。柳家小さん(先代)の弟子で、若手の頃には兄弟子の立川談志とライバル関係にあった。いわゆる「人間国宝」で、落語協会の会長も務めた重鎮。噺家として、真っ向から本格派だと言える現在では稀少な存在の一人だ。
その上趣味人としても知られていて、例えば音楽への造詣は深く、冠番組「小三治のFM高座」では、クラシックやジャズ、ラテンといった幅広いジャンルへの深い知識を披露。また、そこから高じたオーディオ趣味でも、専門誌に取り上げられるようなコレクションを持っている。
そんな小三治師匠が、もう一つの趣味にしていたのがオートバイだった。この「バ・イ・ク」は、彼とその仲間の噺家ライダーの集団「転倒蟲(てんとうむし)」が定期的に行っていた北海道ツーリングの内容を中心に、いかにも噺家らしい飄々とした視点で切り取った、オートバイという乗り物と、バイク乗りの生活を切り取ったエッセイだ。
大好きな北海道で「ああ、あの道を一度バイクで走ってみたい」という師匠は意外と素直な人だった。
ただ、加筆などの大幅な再編集を加えて2005年に文庫化されたこの本、オリジナルの「落語家仲間泣き笑い行状記」の出版は1984年のことだった。
――だから、色々古いんだね。でも、そこがいい。なにしろ平成をヒョイっと飛び越えちまった昔話だ。こいつは泣けるよ。なにしろ上野のバイク街なんてものが、まだこの世にあったころなんだから。
師匠がオートバイに乗り始めたのは41歳のときでね、それがリターンライダーでもなんでもねえんだ。乗ったこともないのに免許だけはあったから、普通免許でなんでも全部乗れちまう昔のやつが。
高田馬場の家から上野の寄席に通うのに、原付じゃ使い勝手が悪いからってポーンと買っちまった。ラッタッタしか乗ったことねえのに。 それも上野の中古屋で! 125ccくらいにしとこうと思ってたのに勧められたからって! ヤマハ XS250スペシャルを買わされちまった!
いやもうここだけで笑える、っていうか泣けるね、わかってる人なら。でもね、ここからなの、面白いのは。なにしろ納車された日に上野の山で、一度止まったエンジンをかけられなくて立ち往生したっていうんだから。
──これ以上はネタバレになるから書かないけれど、そこはさすがに滑稽話を得意とする名人だけあって、そんな与太郎話にも笑わされてしまう。それがバイク乗りなら、一層のことだろう。
そうした「ライダー夜明け前」みたいな話にしても、本題の北海道ツーリング行のエピソードにしても、とにかく語り口が軽妙でノリがいい。噺家の本としての本領を発揮している。でも、そこが諸刃の剣で、ちょっと引っかかるところもある。
この本、噺家の言葉のリズムのドライブ感を狙ったのか、それとも多忙な師匠のスケジュールのせいなのか、手で書いた原稿ではなく、全編がインタビューの文字起こしで、そのへんが本をよく読む人ならすぐわかっちゃうレベルで薄っぺらい。
このこと自体は、師匠も当初から苦々しく思ってたようで、その顛末はこの文庫版の「『あとがき』のあとがき」にも書かれている。これでも再版にあたって大幅に手直ししたというのだから、元はどれだけ酷かったんだろう、どれだけとっ散らかってたんだろう。いやもう、そのくらい、文章や構成としてはかなり残念なことになっているのだけれど、でも、そこがまたよかったりする。
こんな天邪鬼もないけれど、だからこそ、オートバイに乗ることや、バイク乗りの本質をグイッと抉ってくるような一文、一言が、折々にヒョイっと顔を出してくるようなところがあって、それを、バイク乗りなら決して見逃さないだろうな、見逃してほしくないな、とか思いながら、グイグイ読まされてしまうのだから。
「オートバイの乗り方というのは一つしかない。フワッと乗ってることだ。いい位置を探して乗ってることだ」
ほら、なんだかちょっといい感じじゃないですか?
不惑を過ぎて突然バイク乗りになり、その日々に見つけた一言が逐一重く響くというのは、さすがの名人だと思わされてしまった。
その小三治師匠、最初のXSからXJ650スペシャル(それもミッドナイトスペシャル!)、XJ750Eとステップアップして、今はバイクを降りている。原因は両手首のリウマチ。ライダー生活は51歳までの10年間だった。2017年には頸椎を手術。アルツハイマー病の疑いもあったが、療養を続け傘寿を迎えた今も高座に立つ。この4月には北海道で独演会も予定されていた(コロナ禍で延期)。
「いい乗り物だよ、バイクは」
だからこの本の「サゲ」の一行が、なおさら重い。
淺川覚一朗
じつは旧「NAVI」当時から隅っこで描き続けている古株。「Moto NAVI」的には「バリ伝」「ララバイ」のストーリーボードを書いたりとか。ライター業の一方で、北海道美唄市の「地域おこし協力隊」の業務委託を受け、同市の“役場の人”として街おこしに取り組んだり、観光情報を発信中。