MOTORCYCLE

ハチの大群、故郷を飛び回る ~Vespa World Days 2024 REPORT~

2024年4月にイタリアはポンテデラ市で開催されたベスパ・ワールドデイズ2024。
その模様をイタリア在住のジャーナリスト/コラムニストである
大矢アキオがリポートする。

Report & photo_大矢アキオ ロレンツォ(Akio Lorenzo OYA)


2024年4月20日、イタリアのポンテデラ市で開催された「ベスパ・ワールドデイズ2024」で。約1万5千台が参加。最前列から最後尾までのスタートには1時間以上を要した。

ゆかりの地に史上最高の3万人

「ベスパ」愛好家の世界ミーティング「ベスパ・ワールドデイズ2024」が4月18日から21日にイタリア中部ピサ県ポンテデラで開催された。

ポンテデラは重工業メーカーだったピアッジオ社が戦後モータリゼーションを予見してベスパを発表した1946年以来、主要生産地として知られてきた。今日でも「プリマベーラ」「スプリント」「GTS」そして「946ドラゴン」がこの地で造られている。


左/ワールドデイズ期間中は、ピアッジオ本社ミュージアムも無料開放された。巨大なベスパ(ハチ)のマスコットも来場者を迎える。右/1945年試作車。この時点の社内呼称はベスパではなく、「パペリーノ(イタリア語でドナルドダック)」だった。

 

ベスパ・ワールドデイズは、世界66の国・地域で活動しているベスパ・ワールドクラブが毎年異なる都市で開催している国際イベントである。会期中はツアー、歴史的および現行ベスパの展示、ショーそして音楽ライブなど、多様なアクティビティが行われるのが通例だ。

今回はメーカーのピアッジオ社が創立140年、ポンテデラ工場開設100年の節目であることから、ワールドデイズ史上初めて同地が選ばれた。4日間で推定3万人以上のベスピスタ(vespistaベスパファン)と約2万台のベスパが参集。国別ではドイツ、フランス、イギリス、スペイン、オーストリアそしてスイスからのエントラントが特に多く、オーストラリア、香港、メキシコ、アルゼンチン、フィリピン、アメリカ、カナダ、コロンビアといった遠来参加もみられた。日本からも9名が参加した。

ミュージアム前で見かけたのは、いにしえの郵便配達のコスチューム・プレイ。スピーカーからは古いカンツォーネが流れていた。

 

期間中市内では、イベントを祝うのと児童・生徒の交通安全を確保するめため、すべての公立学校が休校となった。沿道にいた市民のジュゼッピーナさんは、「ピアッジオは、第二次大戦前から従業員用住宅を整備するなど、近代的な福利厚生をイタリアでいち早く取り入れた企業のひとつでした」と振り返る。

多くの商店主たちはベスパや、それを模したオブジェでウィンドウに飾って盛り上げた。金細工工房のステファニアさんは、イタリア国旗に見立てた3色のベスパのプレートを自作、店頭に吊り下げた。「ここはピアッジョの城下町。父も義父もベスパの工場で働いていました。今日は、まさにお祭りです」と誇らしげに語った。


左/ポンテデラは普段からピアッジオの街。これは、本社前にあるバールのテント。右/イベント中は、さらにさまざまな店がデコレーションを競った。ステファニアさんはトリコローレのベスパを自作して、店を飾った。

 

「ベスパート(VespArt)」と名づけられたアートも数々展開された。市内には『ローマの休日』をはじめ、ベスパが登場する映画に着想を得た巨大なオブジェが置かれた。

ベスパが登場する歴代3映画に着想を得た巨大オブジェ。これは『ローマの休日』。

 

いっぽう1987年生まれのアーティスト、パオロ・アミーコ氏は、タイヤにアクリル絵の具を付着させ、その轍(わだち)を重ねてベスパ生みの親、コラディーノ・ダスカーニョ技師像を描くライブ・パフォーマンスを披露した。

アミーコ画伯のライブ・パフォーマンス。「ベスパ(のタイヤ)がベスパの父を描くのです」と解説してくれた。

 

ヴィレッジの人々

期間中、参加者たちのベースキャンプ「ベスパ・ヴィレッジ」には、普段メルカート(市)が開かれている広場が充てられた。開場時間になると参加者たちが続々と宿泊先や自宅から到着し、駐車場をまたたく間に埋めていった。参考までに、ミニバンに愛車を積載して来場し、夜は車中泊というファンも多数みられた。

一角のテントでは、ピアッジオ社による最新モデル展示や試乗ブースのほか、さまざまな民間のチューナーやパーツ/アクセサリー業者のスタンドも設けられた。

来場者たちに声をかけてみる。英国から来たケヴィン・ホッグソンさんは16歳からペスパに乗り始めたという元・庭師だ。年金生活者となった67歳の現在もベスパを楽しんでいるという。今回は、数年前に知り合ったパートナーのパトリースさんと、それぞれの愛車で参加した。


左/ポンテデラ市内の広場にて。イギリスから参加したケヴィンさん。ここ30年来の愛車とともに。右/ケヴィンさんのパートナー、パトリースさん(右)も人気者だった。

 

いっぽう、フランチェスコさんは隣県であるリヴォルノ在住の若者だ。祖父のものだった個体を10年前丹念にレストアした。普段はトラックドライバーの父ニコラさんによると「息子のベスパは今朝、変速機が壊れてしまったのですが、すぐに直せました」という。彼らにとって、構造がシンプルなのもベスパの美点だ。

こうしたいわゆる”ビンテージ”を愛好するファンがいるかたわらで、明らかに普段使いの最新ベスパで参加したエントラントもいて、それぞれが交流を楽しんでいる。こうした風景は、ベスパ・ワールドデイズが単なるストイックなファンの集まりではなく、世界中の人々に愛されたスクーターのイベントであることを象徴していた。


左/北ドイツ・チェッレからやってきたファンがパレード出発の準備中。右/現行モデルでスタートに備えるスイス・バーゼルのクラブメンバーたち。

 

16キロメートルの大行進

3日目の20日、土曜日は、会期中最も充実したプログラムであったにもかかわらず、朝から大雨に見舞われ、参加者を不安にさせた。しかしパレードの出発時刻近くになると一転。まばゆい陽光が、マーブルチョコを撒いたが如くさまざまな色をしたベスパたちに降り注いだ。


左/パレードのスタート前、「のろし」のように三色旗が上空に描かれた。右/合図とともに、次々とエンジンが掛けられ、ハチたちが唸り始めた。

 

青空に三色旗のスモークが小型機によって描かれたあと、ワールドデイズ史上過去多の1万5千台によるパレードが始まった。まさにハチ(vespa)が飛ぶような独特のエンジン音が街に響き渡る。驚くべきことに、最前列から最後尾までの距離は16キロメートルに達し、すべてのベスパが飛び立つまでには1時間以上を要した。沿道に集まった市民の一部は、ベスピスタたちとハイタッチで交流を楽しんでいた。歓喜に満ちた大行列は、以下の写真でも感じ取っていただきたい。



左上/フランス東部ストラスブールのクラブは、地域の名物コウノトリの扮装で喝采を浴びていた。右上/ スロベニアから参加のカップルが颯爽とロータリーを疾走する。左下/1957年から61年にかけて製造された四輪車「ベスパ400」。生産はフランスのACMA(アクマ)社で行われた。右下/3人タンデムのスペシャルも!

 

最終日、2025年のワールデイズ開催地はスペインの港湾都市ヒホンであることが発表された。その晩、床についた筆者の脳裏には、おびただしい数のベスパたちが発するエンジン音、ホーンに加え、そして感極まったベスピスタたちの歓声までもが繰り返されていた。


左/地元ポンテデラのクラブメンバー。2人の幸福そうな表情はどうだ。右/その日、ベスピスタは誰もがスターになった。

※同じく24年4月に日本で開催された「Vespa Day 2024」の模様はこちら。
navionthewheels.jp/vespaday2024