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2016.04.23

自分もユーザーだからユーザーの心に響くことがわかる

MOTORCYCLE MAN -オートバイのある人生- Vol.42 野口英康[KTMジャパン代表取締役社長]後編

MCman_3東京・有明のKTMジャパンショールーム。現在、2016ダカールラリーに参戦した三橋 淳選手の450RALLY“ADVENTURE”モデルが展示中だ。

惚れ込めるバイクをつくるメーカーでしか働かない

 後期ビューエルこそ違うが、当時のビューエルS1などは、「びっくりするくらい壊れた」と振り返る。
「ビューエルは乗ると、こんな楽しいバイクは初めてってくらいに楽しいんです。ただ、ハードウェアとしては最低でした(笑)。僕は心からビューエルを愛してるし、今も大好きです。でもビジネスとして売ろうとしたら、あんないい加減な工業製品が売れるはずない(笑)。だけど僕は、オートバイの良さは機械としての良し悪しじゃないところにあると思っていたし、ビューエルの良さはまさにそこにありました。その魅力の本質を、ユーザーにちゃんと伝えればいい。ビューエルを担当していた間はずっと、乗って楽しいということを伝え続けていましたね」
 その成果は、年間200台未満から800台以上に増えた販売台数からも明らかだった。メカニカルな知識があり、車輌開発や生産現場への理解も深い野口さんは、創始者のエリック・ビューエルや、本社の技術者たちからも信頼を寄せられ、02年に登場したXBシリーズからは、開発陣のひとりにも迎えられた。
 しかし09年10月、ビューエル社は車輌の生産・開発の終了を発表。突然の決定に動揺するユーザーのケアのために、野口さんはその後も1年間、各地でカスタマーイベントを開催してからハーレーを退社した。
野口さんの手腕を買い、退社後の誘いをかけるメーカーは複数あった。その中から、最終的にKTMを選んだ理由は何だったのだろうか。
「ビューエルの仕事をしていた時に、このバイクを売るには、販売店さんにもその面白さを体感してもううことが必要だと思って、国内外のオートバイを集めた、比較試乗会をやったことがあるんです。その時に、自分が乗って衝撃を受けた唯一のバイクが、スーパーデュークでした。他のバイクは想像の範囲内だったけど、『やばい、このバイクには勝てないかもしれない』って。ビューエルと同様に、乗った瞬間に明らかに乗り手に訴えかけるものがある。それでいてビューエルより洗練されていて、荒っぽさも、パワーもありました。いま考えると、当時のスーパーデュークって、現行モデルの素晴らしい乗り味と比較したら比べものにならないくらい、ひどいバイクだったんですけどね(笑)。でも、僕みたいなタイプの琴線に引っかかるバイクだと思ったし、もう一度オートバイの仕事をするなら、そういうバイクを作るメーカーでしか、働きたくなかったんです」

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KTMの味方を増やすためにやるべきことは……

偶然にも、野口さんが社長に就任したのは、NEWモデルの125デュークが世に出ようというタイミングだった。野口さんは本社と掛け合い、すでに決まっていた日本での販売価格を、70万円から約45万円に変更。目標販売台数は、80台から500台に引き上げた。前年までの、KTMジャパンの年間販売台数は700台未満。周囲からは、無謀すぎるという声も聞こえた。
「でも僕は、あのバイクにはそれだけ売れる力があると思った。壊れなくて、安全で、オートバイ好きがちゃんと楽しめるバイクなんだと訴えかけることができれば、絶対に広く支持される車輌だと思ったんです」
 7月の発売に先駆けて、4月から大規模な全国縦断試乗会を開催した。メディアからの注目度も高く、スポーティーな乗り味とルックス、価格のインパクトも話題となった。結果、125デュークは500台以上を売り上げるヒットモデルに。その後も、デュークシリーズの快進撃や、スーパーデュークR、スーパーアドベンチャーといったフラッグシップモデルの完成度の高さもあり、ここ数年で、日本でのKTM人気が一気に高まったのは確かな事実だ。
「ビューエルの時は、本社の懐に飛び込んで、車輌の製作過程にまで関わった。でも、KTMが作るバイクの品質は確実なので、僕は売り子に徹しています。もちろん、こんなモデルが欲しいとか、価格とか、本社に提案すべきことは言う。だけど、売り子としてのいちばんの使命は、どうすればマーケットの中でを認知してもらえて、商品のすばらしさを知ってもらうことができるのか。それを考えることですね」
 今年のダカールラリーで、三橋淳選手の13年ぶりの二輪部門復帰をサポートし、南米ダカールでの日本人初完走を後押ししたのも、そうした戦略のひとつだった。予算の限られた子会社のKTMジャパンにとって、選手をひとりダカールに連れて行くのは冒険すぎるといえる投資。実際、本社には「やるな」とストップを掛けられたが、それを説得してまでサポートを実現したのは、そこにやるべき価値があったからだ。
「KTMにとってダカールラリーは非常に大切なもの。今年で15連勝という成績を残していますが、それが世界的なブランドイメージを高めることになり、ライダーたちに興味を持たせることに繋がっています。でも日本では、ダカール15連勝なんて記録がまったくユーザーに響かないほど、注目度の低いレースになってしまった。もう1度、日本人をダカールに振り向かせるには、やっぱり日本人選手を連れて行くしかないんです。三橋をダカールに連れて行けば、オートバイ好きは『うわ、KTMが日本人を連れて行ったのか!』と話題にするし、昨年までトヨタのファクトリードライバーを努めた現役のクラス王者が、二輪で参戦するとなれば、世間的なニュースにもなる。だから三橋に、『本気で参戦したいと言ったら、協力してくれる?』と聞かれた時、『する』と即答しました。その代わり、お前には日本のユーザーたちの思いを背負って走ってもらう。だからちゃんと完走して、帰ってこいよって。まだKTMを知らない人や、未来のユーザーになり得る若い世代に、その強さやブランド力をアピールする機会を作るのも、僕の仕事ですから」
 今後はいかに、KTMの話題性を高め、ファンを増やしていくか。そのためのアイディアも、やりたいことも、数えきれないほどある。
「うちが良いバイクを作っているのは確かだし、KTMならこんなことができるはずだと、期待してくださるお客さまがいる。そして僕は、思いを形にする実行力や、決断力にかけては、人より抜きん出ている自信があります(笑)。これからも自分がユーザーとしてバイクを楽しみながら、お客さまの心に響くことは何かを考え続けていくでしょうね」

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野口英康/HIDEYASU NOGUCHI
1965年京都生まれ。バイク専門誌の編集者から、四輪メーカーの北米駐在員を経て、98年にハーレーダビッドソン・ジャパンに入社。2010年の販売終了までビューエル車の販促や広報を手がけた。2011年にKTMジャパン代表取締役に就任。数えきれないほどのバイク歴を誇り、現在もRC8、390DUKEなど10台近い愛車を所有。200EXCでエンデューロレースにも参戦している。

文/齋藤春子 写真/峯 竜也

→MOTORCYCLE MAN -オートバイのある人生- Vol.42 野口英康[KTMジャパン代表取締役社長]前編

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