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2015.07.04

〝チーム・シンスケ〞もうひとつの夏物語

8耐レジェンド、千石清一が語る、〝風よ、鈴鹿へ〞の舞台裏

鈴鹿8耐人気が絶頂を迎えた80年代後半、ひときわサーキットを沸かせたチームがあった。
人気芸人・島田紳助が率いるプライベーター、「チーム・シンスケ」だ。
ライダーとしてチームを牽引した千石清一が語る、もうひとつの「風よ、鈴鹿へ」物語。

sengoku031986年、鈴鹿サーキットのスターティンググリッドに並んだ千石清一と島田紳助。二人の友情から生まれたチーム・シンスケが、80年代後半の8耐ブームをさらに加速させていった。

素人チームの誕生

風よ鈴鹿へ 風よ鈴鹿へ
風よ優しく吹いてくれ
俺たちの夢をのせて……

 8耐のテーマソングとして、今も歌い継がれている『風よ、鈴鹿へ』。サーキットを訪れた者なら、きっと耳にしたことがあるに違いない。
 「風よ、鈴鹿へ」は1988年、鈴鹿8耐に挑戦するレーシングチームを描いたドキュメンタリー小説として出版された。著者は、島田紳助。本には彼が率いる「チーム・シンスケ」が、8耐に初参戦するまでの経緯を中心としたリアルなストーリーが描かれている。小説は大ヒットし、テレビドラマ化された。その主題歌となったのが高原兄が歌う『風よ、鈴鹿へ』だ。その作詞を手がけたのも、島田紳助その人である。
 1980年代後半、社会現象とも言えるほどの〝8耐ブーム〞を加速させた、このレーシングチームの物語は、当時、若手人気芸人だった島田紳助と、一人のベテランライダーの出会いに始まった。そのライダーとは、後に〝8耐の神様〞とまで呼ばれるようになる千石清一だ。
 「78年に始まった8耐は、ライダーの同窓会みたいな雰囲気だったね。かつてレースを走っていたライダーが、8耐だけは出てみようか、という感じで。いろんなバイクが走って、なんでもありだった。まだ出場台数も少なかったし、メーカーも真剣にやってなかったよね。僕はその頃、チームメイトの死をきっかけにレースから遠ざかっていた。でも8耐の話を聞いて、〝これだったら出れるんちゃうかな〞と思った。マラソンだからね。勝つとか負けるとか、上位に行くなんてことは別にして、とにかく8時間走り切ることが目的だった。ライダー二人で交代して、タイヤもノーチェンジでね。カワサキのZ1で走ったこともあるんだけど、ノーマルのダンロップTT100を付けて、8時間無交換で走りきったよ。当然、上位になんて行くはずないけど(笑)。あの時代はいろんなマシンがいて、単気筒のロードボンバーなんてのもあったし、何でもオッケーみたいで楽しかった。ライダーも若手からベテランまでいてね」

sengoku021986年、チーム・シンスケ鈴鹿8耐初出場を果たしたマシン、スズキGSX-R750。前年の全日本TT-F1で辻本聡がチャンピオンになったマシンがヨシムラから貸与された。味の素と南海部品がチームをスポンサードした。

 78年の第一回大会以来、千石は8時間耐久という〝マラソン〞の完走を目的に、毎年出場を続けていた。その状況を変えたのは、知人を介して知り合った島田紳助の一言だった。
 「紳助と出会ったのは、僕が30代後半の頃だった。〝レースなんて何がおもろいねん、やめ、やめ〞と言うから、〝そんなん言わんで、いちど観に来いよ〞と誘った。それで鈴鹿の全日本を観に来て、ハマったよね。レースに感激した紳助が、〝チーム作って、みんで千石さんを走らせようや〞と言ってくれた。最初は1年だけやってみようという話で、目標はあくまで完走。それまで僕は他所のチームに〝乗らないか?〞と声をかけてもらって走る雇われライダーだったから、自分たちのチームで走れるというのは嬉しかった。それに〝このチームだったらプライベーターでも上位いけるんじゃないかな〞という予感もあった。だからそれまでのチンタラ走ってた自分を変えた。これは命かけて走らな、とね」

sengoku01チーム・シンスケの挑戦を描いたドキュメンタリー小説「風よ、鈴鹿へ」は88年夏に出版され大ヒット。ドラマ化された。

初出場、予選14
位!

 誕生したチーム・シンスケは、監督の紳助をはじめ、ほぼ全員レースに関しては素人。その挑戦は無謀にも思えた。だがよい話もあった。名門チームのヨシムラやモリワキと親交があった千石が、あのポップ吉村に頼み込み、なんとヨシムラがチューニングしたレーシングマシン、スズキGSX -R750を借りられることになったのだ。
 「ちょうどその年(1985年)、辻本 聡選手が乗って全日本チャンピオンを取ったファクトリー仕様のマシンがあってね。それを一年旧くなるけど貸そうと。型落ちっていったってエンジンもハンドリングもそりゃよかった。〝エンジンはノーマルでも通用するから〞ってキャブだけFCRにして、ヘッドまわりは軽いチューンをして。それで8耐の前にいくつかスプリントレースに出てみたんだけど、やっぱり速い。走ってみたら〝あれ、みんな遅いやん〞と思ったんだよね。ユルく流しても、真ん中より上に行けてたから。8耐〝ちょっとホンキ出したろか〞と思ってね(笑)。結果は7位だったけど、途中で3位まで上がった。そりゃあもうマシンですよ。あの当時のファクトリーチームはホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキと力が入っていたから、そこにまともに対抗しようとは思ってない。僕らの目標はあくまでも完走。とにかく8時間走りきって、〝紳助を泣かしたろう〞と思ってたからね。僕はあわよくば表彰台に上がりたい、と思っていたけど」
 そして86年、チーム・シンスケは鈴鹿8耐に初エントリーする。

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sengoku04千石清一/SEIICHI SENGOKU
1947年生まれ。兵庫県出身。鈴鹿8耐に第一回から出場し、86年から「チーム・シンスケ」のライダーとして参戦。91年現役引退。92年より世界初となるFIM公認の鈴鹿サーキットマーシャルライダーを務める。現在は「神戸ライダーズクラブ」代表。www.kobersclub.com

写真/三浦孝明

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