MOTORCYCLE

お客さんを、笑顔に。

ビッグスクーターという日本独自のカテゴリーの中で内外に多くのファンを生んだ、ホンダ・フュージョン。
「M.M.F」代表の増田裕士さんは、その絶対的にコンフォートな乗り心地に魅せられた。

photo:高柳健 text:宮崎正行

フュージョンに惚れ込んだ男

ビッグスクーターという日本独自のカテゴリーを牽引し、たくさんのファンを生んだホンダ・フュージョン。発売は1986年、彼の地アメリカでは「ヘリックス」のネーミングで知られている。1625mmというロングなホイールベースに架装された低いフォルムのボディデザインはじつに個性的で、その乗り味もまたオリジナリティあふれるきわめてコンフォートなものだった。一度でも乗ったことのある方であれば、きっと「あのライポジ、シート、まるで居間のソファみたいで最高だよね!」となるだろう。
そんなフュージョンに惚れ込んで、ついにはフュージョンの専門店を立ち上げてしまった人物が今回の主人公だ。

はじめてお会いした「M.M.F」代表の増田裕士さんには、気むずかしそうなところが一切ない。想いきわまって一車主義をつらぬくショップオーナーさん……の頑固イメージ(失礼!)をひょいと飛び越え、撮影とインタビューには終始笑顔で応えてくれる。そんなさわやかな35歳のルーツがますます知りたくなった。

ミニ四駆とマセラッティ

東京は下町、南小岩生まれの増田さんは幼いころからクルマに興味があった。造園業を営んでいた元メカニックの父がクルマ好きなこともあって、いっしょに東京モーターショーに行ったことはいまでも忘れられない思い出のひとつだ。日ごろから造園の現場などにも連れていってくれたので、増田さんにとって父親との記憶の輪郭はわりとはっきりしているという。増田さんには3人の姉がいるというのだが、待望の4人目、初の男の子への愛情を感じてしまうエピソードだ。

「お庭の植栽を美しくととのえて最終日。お客さんである家主の方にとても喜ばれている、感謝されている様子はいまでもしっかりと覚えています。このころから人に喜んでもらえる仕事っていいなと、どこかでうっすらと感じていました」
その後、小学生だった増田少年は幾度めかのブームであったミニ四駆にハマる。お金のかかった友人の速いマシンへの悔しさ半面、「どうしてこんなにも違うのか、むしろその理由が知りたい」と思うようになった。

「自分が持っていたミニ四駆はシャイニングスコーピオン、当時流行っていたミニ四駆マンガの主人公のマシンでしたね。組み立て説明書を再度確認して、ぜんぶバラして一から組み立て直すことを繰り返していました。当時は、かつて東京モーターショーのブースで見て感銘を受けたマセラッティとどことなく似ていると思っていたんですが、いま見るとぜんぜん似ていませんね(笑)。 そこからプラモデルにどハマりするまでに時間はそれほどかかりませんでした。はじめて買ったプラモはタミヤのS13シルビア、小学3年生くらいのことです」

メカニズムの仕組みを知りたい

そして増田さんの興味は次に、デコトラへと向く。なかなか変遷が激しいが、多感な少年時代はいつも移り気だ。小遣いをためては専門誌「カミオン」を買って熟読した。もう中学生になっていた。
「アートトラックの世界にも激しく魅了されました。エアブラシを駆使して描かれたド派手なペイント……子どもなりに、その技術のハイレベルさに胸が震えましたね。トラッカーになりたいというわけではありません。トラックそのものにものすごく関心がありました」

手に入れたい、オーナーになりたいというわけではない。圧倒的な存在への畏怖みたいなものだろうか。
「そして中学も3年生になると、将来の進路のことを考えないといけないタイミングです。自分はメカニックになることをほぼ決めていたので、整備士コースのある高校に進学することを希望していました。そこでカスタムの世界のことはいったんわきに置いておき、ミニ四駆以来もともと自分の根っこにあるメカニズムへの本来的な探究心、『仕組みを知りたい』という気持ちがだんだんと心の中で大きな部分を占めるようになっていきます。メカニックという職業へのモチベーションが、日に日に高まっていった時期でした」

遅れてきたレプリカ小僧

そんな折、中学校卒業も間近という初春に増田さんはバイクと出会う。“走り屋”へと変貌していた先輩たちが乗っていたホンダNSR250、NSR50。かつて見たことのない変わったノリモノへの興味に端を発し、「乗ってみたい」「免許とらなきゃ」「ヒザ擦ってみたい!」と気持ちが昂ぶっていった。

「そうして手に入れたのがヤマハのTZR50です。仲間も徐々に増えていき、つるんで向かった先はお決まりの工業団地や埠頭。世の中ではカスタムしたTW200が流行っていましたが、僕の興味は旧世代のレーサーレプリカへまっしぐら。オーディオにエアロに、というビッグスクーター・ブームの時も、僕はといえばズボンを2着はいて、さらにガムテでまな板を巻いてヒザ擦りですから(笑)。
いっぽう、学校のエンジン整備の授業ではキャブレターのセッティングがうまく出来なくて不満がたまっていました。アタマで理解しているつもりでも、実際の作業となるとうまく結果が出ない。加えて愛車TZRのコンディションは一向に上向かないし、キャブセットもうまく出せなくて……イライラしていました」

これではダメだと思った増田さん。もともとのコンディションが悪かったこともあって、「この次はちゃんとしたバイクを買おう」とTZR50を手放し、アルバイトを始める。その後愛車をヤマハTZM50、アプリリアRS50とつないでいった。

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取材協力

M.M.F

日本のスクーター史において一時代を築いたホンダ製250ccスクーター「フュージョン」を専門に扱うプロショップ。国内外でメカニックとしてのキャリアを積んだ代表の増田裕士さんが地元佐倉市でオープンし、以後フュージョンフリークスのお客さんたちの信頼を集めながら日々丁寧なメンテナンスやカスタム、ブラッシュアップを行っている。

千葉県佐倉市中志津4-2-14
☎090-8805-1986
営業時間13~20時 定休日:水、第三木曜日