コミネの代表にあれこれ聞いてみた。
モトナビではあまり取り上げてこなかったブランド、コミネ。
高い機能性とコスパに定評がある反面、どことなく垢抜けない印象があった(失礼!)
そんなコミネの内実に迫るべく、同社代表の阿知波直哉氏を訪ねた。
文/日越翔太(Moto NAVI) 写真/三浦孝明
アパレルではなく工業製品。高機能を安く提供したい
モトナビ編集長・日越(以下、ヒゴシ) 先日、SNSでコミネさんの動画を見ました。正直、コミネ製品=機能性とコストパフォーマンスは高いものの、デザイン性に欠ける印象があったんですが、近年の製品やプロモーションを見ると、雰囲気が大きく変わったように思います。そのあたりについてお話を伺いたいのですが、まずは会社の成り立ちを教えてください。
コミネ代表・阿知波(以下、阿知波) 紆余曲折を経て、現在は比較的若い社員中心で経営しています。2017年末には創業家の元を離れて別会社が承継。19年1月1日より私が代表に指名され、いまに至ります。
ヒゴシ 社長就任以前はどのような業務をされてたんですか?
阿知波 モノ作りの担当として海外にも足を運び、モノ作りの根幹を学んできました。コミネという会社は機能性とコストパフォーマンスのバランスの高さで支持されていて、良いものを作れば支持される。そんな理念でやってきました。
ヒゴシ メディア露出は多くないですが、知名度は抜群ですよね。店頭でよく見かける印象があります。
阿知波 いまでこそ認められてきましたが、20年かけて底辺からはい上がってきた感じがします。コミネ=ダサいというイメージは根強いですし、僕自身も学生時代に買ったバイク雑誌を見返すと、登場しているコミネのウェアがダサいと思ってしまったことがありますから。
ヒゴシ ではどうしてコミネに?
阿知波 就活でたまたま、です。当時のコミネは卸売への業態移行の過渡期で人員も少なく、私は学生時代に工業デザインを学んでいたので、デザインで少しでも印象を変えられたらと思ったんです。
ヒゴシ コミネって昔は量販店も経営されてましたよね?
阿知波 創業当時は戦後100社ほどあったと言われるバイクメーカーのひとつでしたが大手には勝てず、メーカーを諦めて用品を扱うようになりました。ヘルメットに力を入れていた時期もありましたが、そちらも大手には勝てず。並行して量販店として店舗拡大していた時期もあり、「コミネオートセンター」という名で最大25店舗ありましたが、会社として効率化を進めた結果、ウェアに移行していくことになりました。
ヒゴシ 取材のきっかけになったSNSですが、コミネはネットでの情報発信に力を入れていますよね。
阿知波 弊社では私がカタログも動画も作るので、SNSに必要な素材を全て持ってる。だから思いついたらすぐ投稿できるんです。自分たちで発信できる時代ですし、そこをうまく使わせてもらってます。以前、弊社のツイッターでバズったユーザーさまの事故動画は、ご本人からコミネのウェアに助けられたとご連絡をいただいたので、プロテクターの啓蒙活動として動画をご提供いただけないかとお願いして実現しました。プロテクターに力を入れているので、その安全性が実証され、ご注目いただいたのは嬉しいことでした。
ヒゴシ 一方でネット上では、全身コミネ製ウェアを着用するライダーを「コミネマン」と呼んでいますが、そのあたりはどう見ていますか?
阿知波 揶揄するニュアンスはあるかもしれないですが、ありがたいです。コミネマンと呼ばれる方々は、機能やプロテクターに対する姿勢を気に入って自らコミネマンになっていただいているはず。私たちの積み重ねが起こした現象であり、お客さま主体の社会運動だと思っています。
ヒゴシ 製品に注目すると、最近はデザイン面の変化が大きいですよね。
阿知波 経営陣が変わったことがひとつの転機でした。ほか、海外ではロゴは目立ってナンボという面がありますが、日本ではおとなしいデザインが好まれる。そういった意識の差はありますが、国内向けでもラインによってデザインは棲み分けしていこうという考えもあります。
ヒゴシ デザインが変化する一方、リーズナブルな価格帯で勝負するのは長年変わらないですよね。
阿知波 工業デザイン出身なので、コミネの商品をアパレルだと思ってないんです。工業製品は、機能性が高いものをリーズナブルにたくさんの人へ届けるものですから。もちろん高価格のウェアを否定するのではなく、他社ではその価値を理解できる人にその価格で売る、という商売をしているだけです。
ヒゴシ コミネのコアユーザーはどういった方々なんですか?
阿知波 40~60代がメインですね。一方で日本市場の閉塞感や、コア層の年代からくる先細り感があるのも事実です。20年後、その人たちがバイクを降りたときにバイク業界は大丈夫なのだろうかという思いはあります。若年層の開拓は大事です。
ヒゴシ コミネというブランドはこの先どこを目指すのでしょうか?
阿知波 ひとりでもバイクで負傷する方を減らすことです。そのためにいまは何ができるかを考え、プロテクターを装備したウェアや胸部プロテクターを手に取りやすい価格で提供していきたいと思っています。根幹にあるのは、ライダーが安全、安心のバイクライフを楽しむことなので、私たちがそこでどう力になれるかがポイントですね。
ヒゴシ なるほど! ありがとうございました!
取材は千葉県流山市にあるコミネの倉庫兼ショールーム(として利用する予定のスペース)で行われた。最新のウェアやグローブ、ブーツなどのほか、広大な倉庫には所狭しとコミネ製品が並ぶ。社長と聞くとデスクワークが中心のように思えるが、阿知波さんは在庫管理などもするという。なお、上の写真は1953年にコミネの前身にあたる小峰バイク工業が製造、販売したバイク、「ジャイアント号」。背景のタペストリーは、コミネマンをモチーフにした特撮風の風景のもの。
資料としてコミネが用意してくれた1960年代~ 90年代にかけてのカタログや社内外のパンフレット。大きく目立っている男性はトシちゃんこと、タレントの田原俊彦。トップアイドルが衣装としてレザースーツを着る。そんな時代があったのだ。
阿知波直哉/ACHIHA NAOYA(株式会社コミネ代表取締役)
愛知県出身。千葉大学工学部工業意匠学科、および同大学院を卒業後、2003年にコミネ入社。企画部を経て、2019年に代表取締役に就任。愛車は学生時代から乗り続けているヤマハVMAX。
KOMINE 公式サイト
www.komine.ac