MOTORCYCLE

地図に残る仕事ってなんだろう

東京と名古屋をつなぐ中央本線には、
日本の高度成長に合わせて進化してきた
歴史が垣間見れる廃線跡が多く点在している。
鉄道好きもそうでない人も思わず立ち寄りたくなる
ノスタルジックなツーリングに
出かけてみるのはいかがだろう?

文/高梨達徳(Moto NAVI) 写真/清水惣資

それは今から15年ほど前のこと。蒲田の大衆居酒屋で建築家を目指していた友人が、当時、古着屋で働いていたアメリカかぶれの自分に突然言い出だした。
「日本は精密機械や電子機器が技術すごいって思われてるけど、土木建設だって、世界一なんだ。高層ビルを何十年おきに建て替えている国なんて、他にはないんだぜ」
そんな話に他のメンバーも全然興味がないらしく、隣の席で飲んでいた女性グループに声をかけていたら、友人がこっそり先に帰っていたのを今でも覚えている。
そして、翌日の朝、けたたましく鳴る携帯電話の着信で無理やり起こされたことも。「建設の歴史見せてやるから、早くこい」
親のクルマを借り、なぜか笑顔の友人に半ば強引に連れてこられたのは、朽ち果てた鉄橋が残る中央本線の廃線跡だった。
新宿駅から長野県の塩尻駅を経由し、名古屋駅までつながる中央本線は1889年に開業、1911 年には全線が開通した。山梨県の穴川駅から長野県にある富士見駅の間は、八ヶ岳の麓ということもあり開業当初は起伏を避けるように単線が配置され、険しい斜面ではジグザグに敷かれた線路を登っていくスイッチバック式が取り入れられていた。高度成長期に合わせるように輸送力の強化が必要になり、60 年代から複線化の工事が始まり、83 年ごろまでには主要路線が複線化されている。地形的にあまりにも入り組んでいるからか、この地域にはそんな時代の廃線跡が多く残っているのだ。
昔の記憶を辿りながら訪れた今回のスタート地点は、71年に複線になりスイッチバックも廃止された穴山駅。果たしてどんな歴史に再び出会えるのだろうか?

穴山駅近くの廃線跡への入り口はこちら。クルマの出入りは少ないが、中型の工事車両等の置き場があるので、出入りの際には注意したい。基本的には未舗装路しかないので、オンロードバイクで巡ることはオススメできません。

線路跡はしっかりと整地されてはいてわかりやすい。架線の跡だと思い込んでいたものは、現在でも使用されている貯水池から田んぼまで水を流すパイプだった。奥にブドウ畑があるためか、思いの外路面はクリア。

駅前の旧道を北上し、さらに右へ伸びている舗装路に入る。奥へ進でいくと、両側がしっかりと整備された使われていない林道になる。どうやらここが、単線の跡地のようだ。もちろんレールは取り除かれているが、うっすらと跡が残っている。さらに奥へと進んでいくと、急に視界が開けた。チェーンが張られ侵入できなくなっているが、左側に走る現在の中央本線に沿うように伸びている築堤は、間違いなく線路が延びていた跡だ。この先へ抜ける道を探してみるも、朽ち果てた林道状態。あらかじめ調べてみたものの、今回はどんな道を走るのか見当もつかないので、オフロードバイクで足つきがよいホンダCRF250 Lを選んだのは正解だったようだ。この廃線跡は、これ以上進むのを諦めて次のスポットへ向かうことにした。
国道20 号を北上し、小渕沢を過ぎると長野県に入る。車通りも少なく、気持ちよく走れるのだが、風が強く体温を奪われていく。途中で暖をとりながら向かった先は富士見町が管理している運動公園。駐車場にバイクを止めてグラウンドの方へ歩いていくと、バックネットの裏に埋め立てられたトンネルの跡地が現れた。このあたりは地形を生かした迂回路ではなく、その年代の最新技術が注ぎ込まれた直線的なラインで線路が走っていたのだ。
バイクまたがり、さらに奥へと進んでいけば、明治時代に建設されたボルチモアトラス橋の立場川橋梁跡が山から生えているかのようにそびえ立っている。
根元に当たる築堤の坂道を上がると、橋の上まで上がることができた。さすがに渡ることはできないが、一部に枕木がそのまま残り、レンガ作りのトンネルも生活用水路として現存していた。
「どうせ作るのであれば、何百年先でも使われているものを作りたいんだ」
15 年前、この橋梁跡を見上げながら話していた友は、今日も世界のどこかで地図に残る仕事をしている。そして日本の技術にさらなる磨きをかけているに違いない。

野球のグラウンドやキャンプ施設などが集められた長野県富士見町の運動公園内にトンネル跡はある。今回は姥母駐車場に止めて歩いたが。グラウンド近くにも駐車場はある。

立場川橋梁跡は、宮崎駿監督の作品「風立ちぬ」に登場したこともあり、ハイキングコース化するなど、保管状況の改善を求める声が多くなっているという。

築堤の上には、まだ枕木が残っており、当時の雰囲気を残している。ただ、上までのルート状況は整備されておらず、イノシシ用の罠なども仕掛けられているので、常識ある行動を心がけよう。

富士見駅側へと足を運ぶと、旧道との合流地点だった場所が残っている。15 年前は侵入できたトンネルも、草木が生い茂り、近くまでたどり着くことはできなかったのだけが心残り。