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2015.10.23

愛も苦言もひいき目も?3人が織りなすクロストーク

代表する3人のジャーナリストが語る「相対的に見ると、 日本のF1人気は意外とすごい」

ブームに沸いた1987年から現在に至るまでF1を追い続けるジャーナリスト、アイルトン・セナに魅せられたフォトグラファー、そして少年時代にセナプロ対決に熱狂してモータースポーツ取材の道を志したジャーナリスト。F1愛に溢れる3人が、当時のブームと現在のF1に対する思いを語り合った。

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僕たちがF1にはまったワケ

―すでに旧知の仲の皆さんですが、まずはご自身の経歴や、F1の取材歴からお聞かせ頂けますか。

大谷 僕は1961年生まれで、今はフリーランスの編集者ですが、もともとは『カーグラフィック』の編集部にいました。90年から2010年まで、スポーツエディター、副編集長としてやってきて、その間は年に数回、F1取材をしてましたね。

―もともと、モータースポーツがお好きだったんですか?

大谷 いや、最初はCGに入れればなんでも良かった(笑)。でも、鈴鹿でF1が始まった87年から3年連続で、一般客として日本グランプリを見に行っているんですよ。

熱田 63年生まれです。モータースポーツは、最初はオートバイの方が大好きで、85年に『グランプリイラストレイテッド』という二輪のレース専門誌を作る会社に入りました。二輪は抜きつ抜かれつのバトルが多く魅力的で、F1 はなにが面白いのかと思ってました。でも当時のオートバイブームがあっという間に去っちゃって、どうしようかなって考えた時に、F1も撮ってみようかと、行き始めたのが91年ですね。

大谷 金のために、好きじゃないレースを撮り始めたのね(笑)。

熱田 いや、金じゃない(笑)。レースを撮っていたかったんですよ。その頃はまだF1誌も25誌とかあって、僕の入り込むすき間があった。F1を初めて撮ったのは、オフィシャルカメラマンとして行った87年の鈴鹿なんだけど、それから91年に5〜6戦撮って、9年
から全戦に行ってますね。そして現在に至る。

米家 僕は81年生まれで、マクラーレンホンダ時代のセナとプロストの戦いを見たのが、好きになったきっかけですね。小学校5年生でした。

大谷 それって88年頃でしょ? もっと低学年の時じゃない?

米家 その頃は全然見てなくて、91年が最初です。週刊少年ジャンプにセナが主人公のマンガが連載されて好きになった。ただセナが死んでからしばらくは、そこまで一所懸命に見てなかったんです。でも98年あたりにまた見始めて、大学を出てすぐ、2003

年にモータースポーツ誌の編集部に入ってからは、海外を含めてパラパラ見に行くようになったんです。その後07年にフリーランスとして活動を始めて、全戦取材に行くようになったのは09年からですね。

nakajima87年、中嶋 悟がロータス・ホンダから日本人初のF1フル参戦を果たしたことと、鈴鹿サーキットで日本グランプリが開催されたことが、日本中に沸き起こったF1ブームのキッカケとなった。写真/原 富治雄

セナはだれよりも特別だった

―大谷さんと熱田さんは、当時のF1ブーム真っ只中で取材をされていますよね。あの頃の熱気は、何に起因していたんでしょうか。

大谷 これは誰に聞いても同じ答えだと思うけど、まずホンダがF1で大活躍して、中嶋 悟さんがロータス・ホンダからフル参戦するようになり、フジテレビが全戦中継を始め、鈴鹿で日本グランプリが開催された。この4つがすべて一気に始まったのが87年なんです。ホンダの活躍だけは、もう少し前からですけど。――初めての鈴鹿の日本グランプリはどれほどの熱狂だったんですか?

大谷 当時僕はまだ普通のサラリーマンだったんですけど、チケットは往復ハガキで申し込むんです。指定席は抽選なんだけど、その倍率が何十倍、何百倍。僕は3年連続で申し込んで、一回も当たらなかった。レース当日はもう、朝の朝3時とか4時には正門
前を人が埋め尽くして異様な雰囲気でしたよ。殺気だっててね。もちろん開門と同時に、自由席を目がけて全員ダッシュです。それでようやくスペースを確保しても、見えるのは、木々のすき間からほんの一瞬。それでも興奮してましたね。

熱田 そういう熱い思いを、俺はしてないからなぁ……。

大谷 F1については、いきなりプロとして取材だもんね。

熱田 鈴鹿市出身なので、ずっと身近にレースはあったんですよ。でも二輪どっぷりで、87年の日本グランプリにオフィシャルカメラマンで参加した時は、日本人がこんなにモータースポーツで盛り上がるんだと驚きましたね。行き慣れた鈴鹿にこんなにも人が来るのかと、ちょっと羨ましかった。二輪は鈴鹿8耐が人気があったけど、また別物だしね。

―取材していて、お気に入りのドライバーはいましたか?

大谷 それがないんです。87年に僕らが一番盛り上がったのは、やっぱりウィリアムズ・ホンダの活躍でね。当時の僕は、世間の評価をまったく知らなくて、マンセルを一番格好良いと思ってました(笑)。

熱田 僕は本格的にF1を撮ろうとした91年、最初に行ったレースがフェニックスのアメリカグランプリだったんです。87年にもF1を撮ったけど、知ってるドライバーはセナぐらい。あとはベルガーとか本当に限られた選手だけでね。そこでいろんなドライバーを撮影する中で、圧倒的にセナが格好良いし、絵になるし、速いしでひと目ぼれしちゃったんです。そこからずっとセナにどっぷりで、彼が死ぬまでそうでした。

大谷 たしかに格好良かったよね。ハンサムだったし。あとはなんか、走りが〝脆い〞んですよ。本当に剃刀みたいなとこがあって、速いんだけど、ちょっと際どいというか。すぐに限界を超えちゃうようなところがあった。特にロータス時代、85年〜87年ぐらいの彼はそうでしたね。

熱田 僕はホント、見た目だけから好きになったんだけどね(笑)。彼の走りを見て、そのスピードとか、雰囲気とか、見れば見るほど本当に彼しかいなかった。

―いちばん世代の若い米家さんのアイドルも、セナですよね。

米家 そうですね。僕が見始めた頃は、中嶋さん、亜久里さん、右京さんと日本人ドライバーも何人もいて、もちろんそれも良かったんですけど、勝っているのはセナで。圧倒的に強かったし、周囲の涙とか、苦労とか、ドラマがあるのもセナだったんですよ。例えば、ずっと地元のブラジルで勝てなくて、91年に初めて母国優勝を飾った時は、終盤にギアシフトが壊れて6速のまま走ってたとか。ただ、それは確かに事実なんだけど、いま自分が取材する側になって思うのは、〝メディアが作り上げたセナ像〞みたいなものもあったのかもしれない、と思います。

大谷 いまは自分が、そのストーリーを書く側だからね(笑)。

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大谷達也/TATSUYA OTANI
大学卒業後はエンジニアとして働いていたが、1990年にCAR GRAPHIC編集部に転職。以来20年にわたり同誌の新車情、モータースポーツ記事を担当し、副編集長を務めた。現在はフリーランスとして各新聞、雑誌、Webなど幅広く活躍。日本モータースポーツ記者会会員。

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熱田 護/MAMORU ATSUTA
東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。坪内隆直氏に師事し、二輪ロードレースの世界GPを転戦。92年よりフリーランスとしてF1の全戦取材を始め、現在まで連続取材記録を更新中。日本レース写真家協会(JRPA)会員、日本スポーツプレス協会(AJPS)会員。

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米家峰起/MINEYUKI YONEYA
1981年生まれ。小学生の頃にテレビで見たセナ・プロ対決によりF1に目覚める。大学卒業後、モータースポーツ関連を得意とする出版社、山海堂に入社。後にフリーランスとなり、2009年からF1全戦取材をスタート。各専門誌、新聞など多数のメディアで執筆している。

まとめ/齋藤春子 写真/安井宏充

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